プロフィール

しなやかメンタル創造カウンセラー 大和 健 (やまと たけし)
うつ、不安症、パニック障害、強迫症を克服して、自分が本当にやりたいことを実現するための、
「しなやかなで強い心を創る」カウンセリングをしております。
私は、人がどうすれば自分が描く幸せな人生を歩むことができるのかについて研究・実践をしてきました。

もしよろしければ、プロフィールお読みください。

【幼少期、突然父親がいなくなった】

 5歳の時に両親が離婚する。父親のイメージは、とても怖いという印象しかなか残っていません。

ある日、父親の両親が我が家に全員集まって話をしていた。

 何を話しているのか分からなかったが、その後、みんなでお昼ご飯を一緒に食べているときに、父親の両親から、「明日から、お父さんがいなくなるけどいいか?」と聞かれた。自分は咄嗟に「嫌だ」と答えた。

その時の自分には、意味が理解できていなかったのですが、翌日から本当に我が家から父親はいなくなった。

数日が経ち、祖母に、「お父さんはいつ帰ってくるの?」と聞くと「もう帰ってこない」と言われたことだけは、鮮明に覚えています。

翌日から、我が家には父親がいなくなりました。

「幼心にも今後はどうなるのだろう?」という不安と、寂しさを抱えながら過ごす日々が続きました。

【成功哲学との出会い】

 高校卒業後、地元の自動車メーカーの下請け工場に、機械技術職として勤務することになりました。仕事内容は流れ作業の組み立てのライン設計をロボット導入して構想立案を行う業務でした。

このころ、自分の将来をイメージした時に希望を感じることができず漠然とした空虚感をいだいていました。

そして、このまま一生を終わったのではつまらないと強く思うようになりましたが自分の能力に自信を持てず悶々とした日々が続いていました。

そんな時に、ハンマーで頭をたたかれるぐらいの強い衝撃を受けた一冊の本に出会いました。

それは、ナポレオンヒル著『思考は現実化する』という本です。この著者は成功哲学の提唱者としての第一人者で、「信念を持ち心に強く思い続けた思考は必ず現実化する!」という内容のものでした。

願望を実現して成功するにはある法則があることを知った私は、早速、自分の望むものを書き出しました。

【社会人になってからの悩み】

 私は、学生時代にアルバイトでおみやげ物売り場のゲーム機販売の仕事をしていいた経験があるのですが、接客業務がとても楽しくて、たくさんの商品を販売した経験がありました。自分ではただただ楽しくて一生懸命にお客さんに接していたのですが、店主が驚くほどの売り上げであったのですごく喜んでいただいたのです。

それで、自分は営業の仕事が向いているのではないかと思い営業の仕事をしたいと思うようになりました。 

実際に、営業の仕事を始めると現実は甘くはありませんでした。入社してみると、考えていた以上に契約に結び付けるまでの過程は、行動力と工夫による努力が必要でした。落ち込んだときにはいつも、「自分の強い願望が本物かどうか試されているんだな」と自分に言い聞かせるようにして、懸命に仕事に取り組みました。

意識では、現在の営業の仕事を懸命に努力していても、心奥底では、大きな不安に押しつぶされそうな自分がいたんだと思います。ですから、その不安な感情を懸命に断ち切ろうとして仕事に没頭するようにしていました。

そして入社して1年半の後(22歳)で結婚し23歳で長女誕生。20代は土日休暇を返上し営業と職員育成に死に物狂いで取り組みました。

その甲斐があって、徐々に成績が挙がるようになり、工業高校卒の私が営業職員から本社総合職に任命されることとなり、収入的には安定した生活を送れるようになれました

成功哲学の通り実戦してきたことで「願望は実現する」と心から強く確信することができた瞬間でした。

総合職になれたことで収入的にも安定し、営業管理職として充実した生活を送れるようになれました。

しかし、

【長男誕生、しかし発達障害の疑い】

 32歳で長男(第二子誕生)。しかし長男が3歳の検診で発達障害の疑いがあると診断されました。家内と相談し、妻が中心となり療育を開始。

それ以降、私も妻にすすめられた発達障害についての本を読むようになりましたが、仕事では過酷な業務と売り上げの厳しさに部下や同僚がメンタル疾患になる方が多く、自分も日々の過酷な目標に疲れ、自分のことが精一杯で家族とゆっくりと会話する機会も次第に少なくって行きました。

【人生最大のピンチ うつ症状でもがき苦しむ】

  37歳のある時期に、業績の壁にぶち当たる。今までの自分のやり方が通用しなくなり、組織経営が上手くいかなくなったのです。

夜中に汗びっしょりの状態で「ハッ」と飛び起きたり、仕事に対する不安や自分に対する自己肯定感が揺らぎ始めました。今思えば鬱状態であったのだと思います。

仕事に対してやらなければという気持ちと焦りばかりが先行して空回りの状態がつづきました。そして、体調は悪くなり、全身に帯状疱疹が出たり、気力が充実しない日々が続きました。

また精神的に落ち込んでくると、今まで上手くいっていたことにも自信が持てなくなり、幼少期の両親の離婚で父親の社会性をモデリングすることが出来ていなかったため、大人の男性としてどのように振舞えばよいのか分からなくなってしまいました。

頭では、「もっと頑張らなくては」「自分はこんなことで負けるもんか」「自分はできる」と何度も自己暗示を繰り返し言い聞かせるのですが、心の底ではいつも言い知れない不安と焦燥感があり、何かが足りないという漠然とした空虚な感覚を心に抱えて過ごしていました。

【困難から救ってくれた中村天風との出会い】

 そんある日、新聞に掲載されていた本の広告、「成功の実現」中村天風著に出会い衝撃を受けました。

中村天風氏は、ご自身が当時不治の病と言われた急性肺結句(奔馬性肺結核)を患い、医学・心理学・哲学・宗教などあらゆる学問を研究しても救われず、ヒマラヤのカンチェンジュンガの山麓でヨガの聖者のもとで修業をされ、「人間が本当に幸福になるための悟り」を得て病を克服され、帰国後に「心身統一法」を創見。その後の政財界にも大きな影響を与えた人物です。

中村天風氏の教えにとって、大きな影響を受け人生を健康的にも運命的にも向上させ大成功を収め歴代の偉人も数多く存在しています。

例えば、
東郷平八郎、松下幸之助、山本五十六、原敬、双葉山、稲盛和夫。最近のスポーツ界では松岡修造、錦織圭、長友佑都、大谷翔平など。

この本との出会いをきっかけにして、自分が目指していたものはなんであったのか?本当の幸せとは何か?と再度、自問自答する日々が続きました。

そして、熱心に中村天風氏の心身統一法を学び実践するようにしました。特に「瞑想」をすることで、とても癒され、今まで感情を押し込めていた自分に気づくことができました。

【信頼できるカウンセラーとの出会い 涙が自然と溢れ出す】

 本当の自分を見つめるために心理学、哲学、カウンセリングに興味を持つようになりました。

でもカウンセリングを受けることに自分の中で大きな抵抗がありました。

それは、「カウンセリングを受けるのは自分が弱いからではか?」「人に相談しないでも自分で改善したい」という思いがどかにあったからです。そんな思いが幾度も頭の中に浮かんではきました。

 しかし、考えていても前には進まないと思い、「何事も経験だ!」と勇気を出してカウンセリングを受けてみることにしました。

このころ、深層心理学に興味を持つようになり、人間の無意識についてもっと深く知りたいと思うようになりました。そこで以前から「催眠」に興味があったので、「催眠療法」受けることにしました。

実際に、催眠療法を受けてみると、心なのかに封じ込めていた不安や孤独が一気にこみあげてきて、施術中に涙があふれ、止まらなくなるほどの感動を覚えました。

そして、催眠がお終わった後にカウンセラーは、私が今まで一度も他人に話したことがない、辛い体験を親身になって聞いてくれました。

施術が終わった後の何とも言えないあの感動は今でもはっきりと覚えています。この体験から私は、自分もカウンセラーの勉強をしようと決意したのです。

 それ以降、心理学を学ぶために仕事をつづけながら通信制大学に入学しました。休日には、心理療法の講座に積極的に参加して多くの心理療法を学ぶようになりました。

心理療法を学ぶことで、自分の思考の癖や日常で起きる出来事に感情が振り回されて本来の自分の意思から離れたなれた生活をしていることに気づくことができたのです。

心理療法は、自分の思考や感情などがどのようにして発生しているのかを理解するためにとても大きな学びになりました。そして、幼少期から現在に至るまでの親との関係、友人、学校、教師との触れ合いのなかで経験が自分の価値観や人生観に大きな影響を与えていることが理解できました。

心理療法は、自分を苦しめている過去の経験で身に着けてしまった、不合理な価値観や消極的な思考を改善することができるという素晴らしい効果があることを知った私は、民間カウンセラーの資格を取得し、同時にカウンセリングスキルを向上させるために自宅でカウンセリングを行うようになりました。

【本当の自分との対話】

 瞑想が日常的なものとなるに従い、今まで暗示で意識に浮かんでこないように抑圧していた無意識の感情に次第に気づけるようになり、そのことを受容できるようになってきました。

そして、「思いは現実化する」の本当の意味を自分は履き間違えていたのではないか?と感じるようになりました。

心で思ったことは実現するということは間違いない事実であると確信していたのですが、意識のみが自分の思考であると勘違いして、その結果、本当の自分の感情を押し殺し、無意識領域にある本当の自分を虐待してしまい、いつしか意識のみが見たり、感じることのできる事象やお金・地位ばかりに執着している自分に気づくことができたのです。

瞑想を実践することで、無意識の感情と向き合うことを自分に許し、無意識の感情と向き合い、その感情を受容することで、より自分らしく行動することが出来るようになってきました。

30代後半に自分に降りかかってきた数多くの苦難は、入社当時からある時期までは周囲の人と協調しながら成長できてきた自分が、いつしか数字に追われ、自分本位な目標に執着し、自分が成功することのみに捕らわれ過ぎて、本来の成功から離れた働き方になっていたのだと気づくことができたのです。

この気づきから、初心に立ち返り組織の仲間ありきの運営に切るかえることで、徐々に心の安定と平静が保てるようになっていきました。

【心の支援を通じて世の中のお役に立ちたいと気づいた】

 自分本位に偏った考えを改めるようにし、それ以降は意識と無意識のどちらもが望む言動を心掛けるに努力をしました。

すると、不思議に今まで自分の中にあった「イラ立ち」「焦燥感」「不安」の感情が和らぎ、周囲との人間関係も少しずつ良好になり心の平穏を感じるようになってきました。

しかし、現実の仕事のストレスは以前と変わらず大変なものであることは変わらりませんでした。そこで、
「思いは現実化する」を応用して、自分の本心と向き合いながらも消極的な感情にできるだけ捕らわれないようにし、自分が望む理想の状態をできるだけ心に描いて、今できる現実の具体的な行動に思いを集中して行動するように努力するようにしました。

すると、多くの問題はあるものの心に負担を以前ほど感じることがなく、周囲の人と協調しながら仕事を効率よくこなしていけるようになってきたのです。

そして、次第に業績は好転し、叩き上げの営業職員入社としては異例の責任のある役職を拝命することができました。そして再び、心の安定を取り戻すことが出来て充実した日々が訪れました。

この経験で学べたことは仕事の成果は重要であるものの、成果は結果としてあらわれるもので、大切なことは「心の状態が、本当にそれを実現するににふさわしい状態にあるかどうかである」ということ。

また、自分の本心が本当にやりたいことは、「心の支援を通じて世の中のお役に立ちたい」ということであると気づくことができました。

このころ、休日に行っていたカウンセリングでも、担当していた来談者の方から、かかりつけの病院で改善が見られない鬱、パニック障害などの症状が改善し、学校や仕事に復帰できたと嬉しいお言葉を頂くことが増えてきました。

【年収を1/5にしてまでも夢の実現を目指すのか葛藤する日々】

 仕事をしながら継続して勉強していた通信制大学ですが、7年という月を要しましたが無事に卒業することができました。

その当時は仕事が多忙を極めており、責任の重い立場にありました。収入的にも1,000万を超えていました。いざ本当に仕事を辞めてカウンセラーの仕事をするのか迷った時期でした。もし心理士になれたとしても年収は1/5に下がり、家族を養っていけるだろうかと悩む日々が続きました。

でも、9年間に渡り激務の仕事をこなしてこられたのは、「いつか、自分が本当にやりたい仕事を自由にやれる日が必ず来る」と信じて夢を持ち続けてこれたからでした。

どんなに収入が増えても当時の私は、仕事がもはや苦痛にしか感じられなくなっていました。自分の中で「本当にやりたいことにチャレンジしたい!」という溢れ出す強い思いがどんどん大きくなっていたからです。

心の底から「人のお役に立つ心の支援の仕事」がしたいという思いが益々大きくなるばかりでした。

そして、臨床心理士・公認心理師の資格を取るために会社を辞めて大学院に行きたいと思うようになり、再び第一種心理系大学院合格を目指して勉強を始めました。

その最中にも、実際、勉強が苦手で工業校卒だった自分が真面目に勉強しても大学院の入試に合格するのは無理ではないか?英語が苦手だった自分が心理学英語の長論文の翻訳問題を解くことができるようになるのだろうか?という底知れない不安に襲われました。

まさに意識の理性と無意識の衝動的な感情との衝突でした。

【10年越しで夢見てきた心理士への切符を手にする】

  しかし、この夢を諦めたら人生に大きな悔いが残る。もし5年~10年、いやそれ以上かかっても好きな心理学の勉強は一生続ければいいという覚悟で勉強を始めました。

そして、ついに心理系大学院に合格。10年越しで夢見てきた心理士への切符を手にすることが出来ました。

その間、妻からも子どもが独り立ちしたら好きな仕事をしても良いとの了承を取り付けていたのですが、それでもイザ、長年務めた会社を退職するとなると、今まで苦労してやっと掴むことができた役職や安定した収入、社会的評価をすべて失うことになる。その恐怖心はとても大きなものでした。

この時に、大津英彦著「死ぬときに後悔すること25」は自分の本心に向き合うたことへの励ましになりました。はたして、自分の死が目前に迫った時に人が後悔することは何でしょうか?

この本には、1,000人の死を見届けた終末期医療の専門家がその患者さんが人生を振り返り、本当に大切なものは何だったと感じたのか?そのことをできなかったことへの後悔の言葉が書き綴られています。

私は、もしたった今、自分の人生が残りわずかとなって病床で横たわっていることを想像すると、「このまま、本当に自分のやりたいことをせず、死んでしまっては人生に悔いが残る!」と強く感じました。

自分の本心と何度も向き合った結果、たとえ会社を退職して収入や肩書が無くなったとしても、現在まで努力して培ってきた経験やスキルは、決して失われることはない。今までの経験にさらに磨きをかけて「新たなステージで自分を表現しながら成長したい!」との思いの方が現在の安定した生活を望む重要なことであることに気づきました。

翌年4月に大学院に進学。大学院生活では、臨床心理学の知識を深めると同時にカウンセリング業務も並行して実践してまいりました。

【統一式 メンタルメソッド】

 心理学を学んだお陰で、長男の発達障害について、その特徴や子供の世界観を理解できるようになってきました。子供の障害特性を個性ととらえて親の視点から見た一般的な評価や価値観でその子供を見るのではなくて、子供の障害特性を個性ととらえて、その子の視点に立ち、何に躓いているのか、何を支援していけばその子供の成長に役立つのかに関心を向けて接することができるようになりました。

長男は現在、笑いのある家庭の中で自分のペースで新しい学びをひとつひとつ積み上げていってくれています。そのことを見守りながら日々、親子ともに幸福を感じています。

大学院卒業後は、精神科病院に心理職として勤務。現在は心理カウンセラーとして、心理的な悩みを抱えて苦しんでおられる方々に寄り添い、その方に応じた心理療法を行い症状を改善し、自分らしく人生を生き甲斐を持って歩んでいただくためのご支援をさせていただいております。

また、当カウンセリングルームでは、人生に悩み苦しむ多くの方が、本来その人が望む幸福な人生を手に入れるための”統一式 メンタルメソッド”を考案しお伝えしております。

現在、メンタル疾患でお悩みの方は、まずは心の健康を取り戻すことが先決です。

しなやかで強いメンタルを手に入れて、意識と無意識が望む本当の自分と協調し、無理なく、ワクワクしながら本当に幸福な人生を自由にしなやかに生きていきましょう!

【当カウンセリングルーム対象のメンタル疾患】

・抑うつ
・うつ病/抑うつ障害
・不安症
・パニック症/パニック障害
・強迫症/強迫性障害
・発達障害 注意欠如・多動症(ADHD)
 または自閉症スペクトラム・ADHD)をお子さんをお持ちのご両親。

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受付時間午前10時~午後9時

心の悪循環を断ち切って、安心感と自信を築いていきたい方は、
大和 健にぜひ一度ご相談ください。